萬斎さん観賞と日本画修得の日々

吉祥寺で一棚だけの本屋さん(ブックマンション,145号,いもづる文庫)を始めました。お店番に入る日や棚のテーマ更新は、Instagramでお知らせします。

「第661回 大槻能楽堂 自主公演能 新春能(1月4日)」を観る(その1)

1月4日、大槻能楽堂へ。

最初に「翁」。
翁は大槻文蔵さん、三番叟は裕基 くん、千歳大槻裕一くん、面箱は 中村くん。
笛は杉市和さん、小鼓頭取は成田達志さん、胴脇が成田奏さん、手先が曾和鼓堂さん、大鼓が広忠さん。
狂言後見が萬斎さん&深田さん。

頭取の両側の小鼓は脇鼓と称されるのかと思ってたのですが、今回の番組表は上述の記載になっていました。

とてもよい翁でした。
裕基くんの三番叟には、ジーン、とさせられました。
何にこんなに感動しちゃったのか自分でも不可解なくらいに。

三番叟という荒くれ馬を乗りこなそうと必死になって挑む、ひたむきさに打たれたのかも。


裕基くん、声が枯れかかってました。
前日に国際フォーラムで二人袴をなさった時は、枯れてなかったのに。
ということは、国際フォーラムの後にオニの追込みお稽古があったということでしょうか。

裕基くんは、鶴亀&松葉が配された滅紫色の直垂に、朱色ベースの格子の厚板。
 
狂言後見のお2人は、洗朱色の裾模様の入った藍鉄色の素襖裃。

広忠さんは小紫色の菱模様の素襖裃に、薄藤色の熨斗目。裾の方は更に淡い色の格子のグラデーション。

侍烏帽子から剣先烏帽子にチェンジするために裕基くんが後見座の前にゆくと、萬斎さんは深田さんの前に身を乗り出して、入念に襟の辺りをお整えに。

黒式尉の紐を締めるのも萬斎さんがなさいました。
萬斎さんが扱うと、紐もピシッ
ピシッ と鳴ります。
道成寺の鐘の縄を滑車から外す時のように。
萬斎さんが鐘後見をなさった時って、ビシッと床に叩きつけるように鳴ってたな、と唐突に思い出してしまう。


鈴之段の問答の第一声が!お父様のお声に酷似!
他でもない、問答の声が。

萬斎さんは、種おどしの時に特に鋭い視線を注いでおられました。
ここまでは、眉間のシワこそ無いものの、誤動作の有無を検分するモード。

が、鈴之段の後半は、無心に裕基くん見詰めておられました。
検分モードでなく。

ご自身の右隣の深田さんの方へお顔を傾け、広忠さんの右袖が翻る隙間から裕基くんの姿を目で追われる。

真剣なお顔ですが、コワイお顔ではありませんでした。
ただ純粋に見届けたい、と、つまりは、失礼ながら思いは私と同じだったかのようにお見受けしました。
萬斎さん、この正面席、ちょびっとだけなら代わってさしあげたっかですー

ほんとは、正面席からご覧になりたかったことでしょう。

ふふふふふー
正面席アングルのご子息様、とーっても素敵でしたよぉ、かつ、心を揺さぶられる真摯さがありましたよぉぉ

いまの時期の裕基くんの三番叟を観れてるって、とてつもなく幸せなことなんだ、と改めて思いました。
1/2のセルリアン三番叟も観たかった・・・と、今更ながら悔やまれてしまう。
東京から離れてたから物理的に無理だったんだけど。

もし来年もセルリアン三番叟が裕基くんなら、何とか対策を講じてみようと思います。

三番叟が終わり、大鼓&小鼓
は肩脱ぎにしていた素襖裃を元通りに着て退出のご準備。

と、広忠さんがスッと腕を伸ばして、お隣の小鼓の方の衣紋を直してあげておられました。
小鼓後見が、素襖裃の着衣をサポートされていたのですが、襟足は後見からは死角だったようで。

ところで、直垂姿の裕基くんて、鎖骨から胸骨にかけてのラインがシャープで美しいんです!
前からだった?

着付けが上手い方が着付けをされたのか?
着付けは深田さんでしょうか。

今日はここまで。

(その2につづく)