萬斎さん観賞と日本画修得の日々

吉祥寺で一棚だけの本屋さん(ブックマンション,145号,いもづる文庫)を始めました。お店番に入る日や棚のテーマ更新は、Instagramでお知らせします。

「第九回 佐久間二郎能の会 三曜会」を観る

12月5日、国立能楽堂へ。

最初に、落語立川流 立川談四楼さんによる「おはなしー曽我物語」 

続いて仕舞「小袖曽我」 

十郎祐成(兄)が永島充さん、
五郎時致(弟)が佐久間二郎センセ。

このあとに上演される「夜討曽我」と同じ配役にしたんですね。
・・・と、仕舞を観てる時は、その程度にしか考えていなかったんだけど、

これは佐久間センセが入念に仕組まれたエピローグだったのです(たぶん)。

・・・ということは、帰路についてから、ようやく気付きました。

「小袖曽我」は、曽我兄弟が仇討ちに出発する前までのお話なので、ここから物語は、はや、動き出していたのです。

そのあとの観世喜之さんの仕舞「羽衣」も、
曽我兄弟が仇討ちへ向かってる頃、平行して三保の松原で、こんなことがあったのね、と捉えている自分がいたのです。

さらに、仕舞に続いて上演された
狂言「成上り」も、
時を同じくして、鞍馬では、参詣に来た主従がこんな目に遭ってたのねー、という気持ちに、私はなっいたのです。

太郎冠者が弁慶パパの逸話を語ったりしてるから、時代的にも、なかなか辻褄が合うし。

つまり、「羽衣」や「成上り」という外伝を差し挟みつつ、「夜討曽我」に至る、という構成のように感じられ。

なので、とてつもない壮大な物語を、番組全体を通して味わった気持ちになりました!

さて、その狂言 「成上り」です。     
太郎冠者が萬斎さん、主が裕基くん、すっぱが高野さん、後見が中村くん、幕が内藤くん。

太郎冠者さまは、黄色地にターコイズブルーの格子の縞熨斗目、裾の方が狐色のグラデーション。
蓑虫が配された狐色の肩衣、2本の唐団扇の紋の腰帯、苔色の狂言袴。

萬斎さんの、いろーんな声色が聴けて嬉しい。
すっぱを捕らえた後、太郎冠者がことごとく的外れなことを仕出かすのが、もう楽しいったらなかった!

本来の上下関係と逆転して、裕基くんが萬斎さんに対して、呆れたり怒ったりするのにも、ニマニマしてしまう。

裕基くんの立ち姿が美しい。
観ている人に美を感じさせるのは、とても重要なことだなーと、しみじみ思うこの頃です。

あと、高野さんの重ね扇の腰帯が、すてきでした。


能「夜討曽我 十番斬 大藤内」

五郎時致&が十郎祐成が、先程の「小袖曽我」のお二人。

団三郎が坂真太郎さん、
鬼王が谷本健吾さん。

新田忠常が福王和幸さん。

大藤内が万作さん、
狩場の者が萬斎さん。

十番斬りされるのが、
青木健一さん、
中所宜夫さん、
松山隆之さん、
馬野正基さん、
鵜澤光ちゃん
奥川恒治さん、
桑田貴志さん、
小島英明さん、
北浪貴裕さん、
遠藤和久さん。

古屋五郎が、角当直隆さん。
御所五郎丸が長山耕三さん。

宿直の侍が、中森健之介くん&奥川恒成くん。

笛が松田弘之さん、
小鼓が鵜澤洋太郎さん、
大鼓が広忠さん。

地謡は、観世喜正さんを地頭に5人編成。
フェイスシールド等は無し。

後見は、観世喜之さんを主後見に3人。

「大藤内(おおとうない)」は、狂言方の小書。
六世万蔵さんのご著書によると、替え間の扱いになるそうです。

「橋弁慶」の替え間「弦師」に似ていました。

とぼけたコントのようなアイなんだけど、凄いのは、
仇討ちを果たしたらしい、という情報が、アイでチラッと触れられるだけ、ということ。

あんだけ色々とタメを作っておきながら、肝心の仇討ちシーンは全く見せない、と。

あと、萬斎さんが万作さんをからかうんだけど、冗談の中に隠された意地悪がリアルに怖い。
月見座頭のアドにも通ずるような怖さ。

十番斬り、固唾を飲んで見入りました。
兄弟が、本舞台と橋懸りに分かれて戦うので、うわうわ、どっちも観たいのに~、というジレンマが。

奥川センセとかの重鎮クラスの方々まで斬られ役で出ておられるって、贅沢です。

十番斬の後に登場したが福王和幸さんが、肩上げの法被に厚板、白大口、烏帽子というお姿で、文句なしのカッコ良さ。

法被は、黒地に、えらく大きい金色のイタリア華紋が配されているんだけど、スラリと背が高いので、衣装負けしません。
十郎は福王和幸さんに切り殺されてしまいましたが、斬られ甲斐のある相手だったんじゃないでしょうか。

五郎は、若き宿直の侍コンビに両脇から引っ立てられて、前傾体勢ならぬ後傾体勢のまま引き摺られて!幕入となりました。

国立能楽堂の長い長い橋懸りを、少しの突っ掛かりもなく、それは見事な大滑走でした。
幕の向こうで、五郎も殺されたってことなのでしょうね。

でも、不思議な爽快感がありました。

何としても、この小書をやりたい、という佐久間センセの熱意が満ち満ちていて、
さらに、それに賛同して、よそのお家からも多く方々が斬られに駆けつけた、という風に感じられたからかも。

斬られた皆さまも、実は滅多にない小書を楽しんでらしたのかしらねー