2月18日、喜多能楽堂へ。
萬斎さんが新作能のアイをなさると知り、これは観なくては!と。
今回の公演は、武蔵野大学の特別講座、という位置づけらしいのですが、部外者も受講OKとのことで、ありがたく。
新作能「秀衡」
前シテ(西城戸の館の侍女),
後シテ(秀衡「霊」):佐々木多門さん
シテツレ(義経):大島輝久さん
ワキ(弁慶):舘田善博さん
ワキツレ(金色院従僧):則久英志さん
ワキツレ(従僧):梅村昌功
アイ(堂守):萬斎さん
笛:藤田貴寛さん
小鼓:森澤勇司さん
大鼓:柿原光博さん
太鼓:大川典良さん
輝久さんの義経、素敵でした。
バンザイ直面~
装束は「八島」のようなバトル感つよめではなく、平家の公達テイスト。
シテじゃないんだけど、出番は圧倒的に多い。
中入もしちゃいます。
後場の義経の装束が、特に気に入りました。藤色&マスカット色&ピンクの狩衣に白大口。
こんな面、ありそう!といいたくなるような、美し~い面差し。
色んなもの失って平泉にたどり着いたヒトは、なんと魅力的なんでしょー
そうそう、このお能の舞台は、タイトルにもなってる秀衡にゆかりの平泉なのです。
ビジュアルの可愛さで相手を油断させといて、舞の披露に持ち込むトコとか。
静烏帽子をつけて舞いながら、ハシッと自分で叩きおとして本性を顕すトコとか。
前シテの面は可愛らしくも見え、時として妖婉にも見える。
萬斎さんのお役は、中尊寺の金色堂の堂守。
刈安色&茶色の能力頭巾、薄卵色のヨレ水衣、サンドベージュの緞子の腰帯、
ターコイブルーの青海波の狂言袴は括り袴に。
通常のアイより、狂言テイスト寄りの言葉遣い。
金色堂に入るシーンは、棒縛とかで酒蔵に入る時と同じ。
ピーン、ガラ、ガラガラガラ、と。
ただ、狂言では下手側の扉を開ける音を上手側の音と変えてらしたような記憶があるけど、今回は両扉ともに同じ擬音だっような。
で、お堂のなかに入ると、キランキランな様を、ハフーッと見渡してお喜びになる。
うん、ほんとキラッキラだったよなー、と私も自分が訪問したときのことが脳内に懐かしく甦ります。
緩急の語りが心地よいったら!
お忙しいでしょうに、このお役をお受けくださり、感謝です。
で、金色堂の棺から甦るのが、後シテ・秀衡の霊なのです。!
ツレの出番の方が多くて、ツレにとって大切な人と再開し、その相手がシテっていう点で、蝉丸と似てる。
蝉丸のシテは霊じゃないけど。
観てる自分は無意識にツレの視点になってた、というのも、蝉丸を観てる時と同じで、そこが面白かったです。
さて、この演目は、今は亡き土岐善麿(ときぜんまろ)という武蔵野大学の先生が、十五世喜多実さんと一緒に作った新作能だそうです。
初演は1951年11月11日とのこと。
配布された資料のなかに、初演時の番組表の写しが。
シテは、もちろん喜多実さん。
アイは野村万蔵との記載。
萬さんが7世万蔵を襲名された時期を調べてみたところ、1993年の模様。
てことは、1951年当時の万蔵さんとは、萬斎さんのお祖父さまのことなんですね。また
そして、同時上演された狂言「千鳥」の出演者の欄には、万蔵、万作、四郎!と。
なんと、おシテ方に転身される前の四郎さん!
お誕生日目前の公演だったので、14歳~
これはレアな。
書く順が前後しましたが、この講座は二部構成で、「秀衡」は第2部での上演。
第1部は、武蔵野大学の先生方のご講演3本数でした。
司会進行をなさったのも、武蔵野大学の先生。
その司会のセンセが仰ることには、インターンシップ制度で、今年度の春から5名の1年生(学部生?)が喜多能楽堂にお世話になりながら、今回の講座の資料を準備してこられたそうで。
しかも、春から準備なさってきたってことは、ほぼ1年がかりのインターンシップってことでしょうか。
うちの会社(普通のメーカー)では、インターンシップ受入は通常2週間、長くて1ヶ月なのに。
色んなパターンがあるんですねー